東京で出会った人達 木下さん

鮫!鮫!鮫!をやっている時に、よく隣で達人王というゲームをやっていた、木下さん(仮名)という人を紹介する。

恐るべき腕前と冷静な判断力を持つ人だった。


私が通っていた東京のゲーセンには、鮫!鮫!鮫!の隣に「達人王」というゲームが置いてあった。その達人王をよくやっていたのが、木下さんという人だった。

達人王もループゲームであり、上手い人は何時間も続けることができる。私の鮫!鮫!鮫!も数時間続くので、必然的にお隣同士でしばらくプレイする機会が増えてきた。いつごろからは明確ではないが、おそらくお互いに「またこの人がやっているな」と思っていたはずだ。



当時、私は達人王というゲームについてほとんど知らなかった。発売された時に少しやってみたことはあるが、1周目から異常に難しいという印象があるだけで、それ以上の事は何もわからない。自分には縁の無いゲームでしかなかった。

彼がやっているのをみていると、点数は大体500万点前後まで行っているようだ。達人王に関して情報を集めてから分かったことだが、これはとんでもない上級者らしい。プレイ時間から見ても、只者ではないことは想像できたが、恐ろしい人とお隣さんになってしまったものだと感じた。どうも肩身が狭いような気がしてしまう。



達人王は、1千万点が最終目標とされている。そこまで到達できるのは、正に一流のプレイヤーに限られる。しばらくするうちに、木下さんの点数は600万、700万と伸びてきた。しかし、さすがに800万あたりから伸び悩みが見えてきたようだ。やはりこの辺りからは苦しいのか。彼と話をしたことは無かったのだが、横目で見つつ応援はしていた。

ついに、900万点台に達するようになってきた。それでも最後の一押しが大変らしく、1千万まではわずかに届かない。920万、940万などの結果を残していく日が多くなる。でも近いうちに目標を達成するだろう。そう思っていた。

ある日、970万点くらいまで来ているのが見えた。私も鮫!鮫!鮫!をやっている最中だったので、ちら見でしかなかったのだが。残機もたくさん残っているようで、ついのその時が来ましたか、と自分のほうが落ち着かなくなってきた。

ところが、達人王の自機がやられる音が連続して聞こえてくるようになった。3回、4回と連続して耳に入ってくる。さすがに緊張して平常心でいられなくなっているのか、それとも厳しい場面でハマリを喰らっているのか。こちらのほうが気が気でない。

また自機がやられる音が聞こえた。ちらっと見てみると、残機数があと2機しかない。まさか、またここで届かないのだろうか。さらにもう1機やられる音がした。私はいたたまれなくなり、ゲームの途中だったが席を立ってしまった。そして、少し離れた場所から様子を窺っていた。



しばらくすると、彼は席を立ち、ゲーム画面の写真を撮っているようだった。ということは、目標に届いたのだ。私は安堵し、心の中でおめでとうと言っていた。

ところが、周りの人達の反応がまるで無い。達人王の1千万という快挙は、滅多に見られるものではない。その価値がわからない人ばかりなのだろうか。それはあまりに寂しいことだ。誰にも注目されず、祝福もされないとは。

少し迷ったが、木下さんに「おめでとう」と声をかけることにした。それまで話をしたことも無いので唐突な感じではあるし、もしかしたら不愉快に思われるかもという怖さはあったが、近くで見届けた人間が何も言わないのも良くない。幸いなことに、彼は快く「ありがとう」と言ってくれた。その時から、木下さんと話をするようになった。



達人王に限らず、木下さんはどんなゲームをやっても超一流。反応速度や判断の正確さもすごいが、最も驚いたのが精神的に崩れることが全く無いこと。常に平常心で、最善のパフォーマンスを見せる。東京ではハイレベルなプレイヤーをたくさん見かけたが、初めて目の当たりにしたSクラスのプレイヤーだった。

私とはレベルが違い過ぎるので、少し遠慮がちに話すことが多かったのだが、それをたしなめられたことがある。「自分と木下さんでは、腕前というか、まず才能が違い過ぎるので」と私が言ったら、「才能なんて、言うほどの差は無いはずだよ。上手く見える人は、陰で何倍も努力しているものだから。」と言われた。

確かに、木下さん本人が努力していた。私の見えていないところでも、練習を重ねていたのだろう。努力ができるのも才能の1つだとは思うが、やはり練習すること、工夫を重ねることが結果につながる。それを改めて教えてくれた人だった。